世界主要指数の歴史上最大暴落ランキング:下落率と「絶望の復活期間」
「暴落が起きても、インデックス投資なら数年待てば元に戻る」——。
2020年のコロナショック(わずか数ヶ月で最高値奪還)しか経験していない投資家の中には、暴落をその程度のリスクとして捉えている人が少なくありません。
しかし歴史をさかのぼると、市場は一世代の投資人生(20〜30年)を丸ごと飲み込むような壊滅的な下落と、「果てしない低迷期」を何度も引き起こしてきました。本記事では、各国を代表する主要株価指数の歴史上最大ドローダウンを比較し、当時の狂騒と絶望の記録とともに紐解きます。
【歴史的暴落ランキング】主要株価指数の最大ドローダウン TOP10
ギリシャ(アテネ総合指数)
何が起きたのか?
2001年のユーロ加盟により金利が劇的に低下し、海外から巨額の資金が流入。不動産や株価が急騰しましたが、2009年に政権交代で「国家予算の粉飾」が発覚しました。信用は地に落ち、国債利回りが爆発的に上昇(ギリシャショック)。膨張した財政赤字、そこから波及した欧州債務危機、さらには過酷な緊縮政策と銀行危機の連鎖により、株式市場は消滅寸前まで売り叩かれました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「ユーロ加盟国だから絶対に安全」「欧州の成長株だ」
単一通貨ユーロの恩恵により「ドイツと同じ信用力で資金調達ができる」と過信されていました。しかし、実体経済を伴わない借金依存の成長であったため、嘘がバレた瞬間に市場は一切の容赦なく資金を引き揚げました。一国の主要インデックスが「ほぼ無価値」になる恐怖を示した事例です。
香港(ハンセン指数)
何が起きたのか?
1970年代初頭、香港は金融センターとしての地位を確立しつつあり、空前の株ブームが到来。しかし、偽造株券事件の頻発や企業の乱診乱発による需給悪化に、オイルショック(石油危機)が直撃。1,700ポイントを超えていた指数は、わずか2年足らずで150ポイントまで崩落しました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「消防士がホースを放り出して株を買いに走る」
仕事を持たない主婦からメイド、公務員までが全財産を株式に投じる熱狂状態。「株を買えば誰でも1日で儲かる」と信じられていました。しかし、市場から流動性が消えると買い手は一瞬で不在となり、連日ストップ安が続く地獄絵図となりました。
米国(ダウ工業株30種平均)
何が起きたのか?
狂騒の20年代(Roaring Twenties)の果てに起きた「世界恐慌」。1929年10月24日のブラックサーズデーを皮切りに、信用買い(マージンコール)の連鎖的な強制決済が発生。銀行の連鎖倒産、失業率25%という大不況を伴い、米国市場は底なし沼へと沈みました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「株価は永遠に下がらない高原状態に達した」
暴落直前、著名な経済学者アーヴィング・フィッシャーが語った言葉です。靴磨きの少年までもが株の銘柄を語るほどの過熱ぶりでした。「借金をして株を買えば人生が変わる」というレバレッジの濫用が、下落時の被害を最大化させました。
日本(日経平均株価)
何が起きたのか?
1989年末に38,915円の史上最高値を記録した平成バブル。しかし日銀の急激な金融引き締め(利上げ)と大蔵省の総量規制により不動産・株価バブルが同時崩壊。その後も金融機関の不良債権問題、ITバブル崩壊、リーマンショックと悪材料が連続し、2009年には7,054円まで沈み込みました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「東京の土地でアメリカが買える」
日本企業が世界を支配するという絶対的な自信に満ち溢れ、当時の日本株全体のPER(株価収益率)は60倍を超える異常な水準に達していました。暴落が始まっても「一時的な調整」「日本株は必ず反発する」と信じられましたが、適正価格への修正には失われた30年という途方もない歳月を要しました。
ロシア(RTS指数)
何が起きたのか?
2000年代の「BRICsブーム」の中心として、原油高を背景にロシア株は爆発的に上昇していました。しかし2008年、リーマンショックによるグローバル資金の引き揚げに加え、原油価格の暴落とグルジア紛争の地政学リスクが重なり、わずか半年で価値が1/5になるという壊滅的な速度で暴落しました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「資源国・新興国の成長は止まらない」
先進国が低迷する中、新興国こそが世界の主役になるともてはやされていました。しかし、新興国市場は海外マネーの流入で成り立っており、危機時には「真っ先に資金が逃げ出すATM」にされるという新興国特有の脆さを露呈しました。
台湾(加権指数)
何が起きたのか?
1980年代後半の「台湾の奇跡」と呼ばれる高度経済成長期。余った資金が株式市場に殺到し、違法な高利回り投資会社が乱立。しかし1990年、インフレ抑制のための金融引き締めと「証券取引税」の導入発表を機に、バブルは一瞬で弾け飛びました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「証券会社が毎日お祭り騒ぎ」「仕事をするのが馬鹿らしい」
上場企業数が少ないにも関わらず、取引高は一時ニューヨーク市場をも超える異常事態に。市場参加者の多くが個人投資家(主婦や学生)であり、「相場は政府が支えてくれる」という根拠のない安心感が、逃げ遅れによる甚大な被害を生みました。
米国(NASDAQ総合指数)
何が起きたのか?
インターネットの普及に伴う「ITバブル(ドットコムバブル)」。社名に「.com」が付くだけで、利益ゼロの企業に巨額の資金が集まりました。しかし2000年春以降のFRBの利上げを機に資金枯渇が始まり、過剰投資の反動で数多くのITベンチャーが倒産。ハイテク株中心のNASDAQは焼け野原となりました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「ニューエコノミーの到来。旧来のバリュエーションは無意味」
「赤字でもクリック数やページビューが増えれば価値がある」という新常識が信じられ、伝統的な企業分析を語る者は「時代遅れ」と冷笑されました。熱狂の末、当時の王様であったシスコやAmazonでさえ株価は一時90%以上暴落しました。
(※Amazonは株価が約95%下落しましたが、企業そのものは生き残り、その後巨大企業へ成長を遂げています。)
中国(上海総合指数)
何が起きたのか?
2008年の北京オリンピックに向けた凄まじいインフラ投資と経済成長を背景に、わずか2年で指数が6倍に急騰する強烈なバブルが発生。しかし、インフレを懸念した中国政府による強力な引き締め策(利上げや印紙税引き上げ)と、海外のリーマンショックが重なり、6,000ポイント超えの株価は1,600台へ急降下しました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
当時は「北京五輪までは株価は下がらない」「1万ポイントは通過点」と広く信じられていました。
国威発揚のイベントを前に、政府が株価下落を許すはずがないという「国家神話」が蔓延。多くの市民が借金をして株につぎ込みましたが、バブル抑制を焦った政府の規制により、その神話は投資家自身を押し潰す結果となりました。
英国(FTSE All-Share)
何が起きたのか?
1973年の第一次オイルショックに加え、国内では炭鉱労働者の大規模ストライキが発生。エネルギー危機により、当時のヒース政権は電力節約のため企業に「週3日労働制」を導入する異常事態に。経済活動が強制停止したことで、株式市場は第二次世界大戦時以上のパニック売りを記録しました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「英国病の末期症状」「インフレと不況の同時進行(スタグフレーション)」
株価が下がる一方で物価が急上昇し、現金の価値も株式の価値も同時に失われる最悪の経済環境。投資家は「株を売ってもインフレで目減りし、持っていれば倒産リスクに晒される」という出口のない恐怖に直面しました。
米国(S&P500指数)
何が起きたのか?
世界中の投資家が記憶する「リーマンショック(世界金融危機)」。低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)を証券化した複雑な金融商品が焦げ付き、2008年9月に投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻。世界の金融システムが機能不全に陥り、あらゆる資産が投げ売りされる連鎖的クラッシュが発生しました。
当時の空気感(それでも落ちたのか?)
「金融工学がリスクを消し去った」「米国の住宅価格は下がらない」
証券化の魔法により、ジャンク債がAAA(トリプルA)の安全資産として世界中にばら撒かれていました。誰も本当のリスクを把握しておらず、疑心暗鬼に陥った銀行同士が資金の貸し借りを停止したことで、黒字企業までもが資金繰り倒産に追い込まれるパニックとなりました。
ランキングが示す通り、極度なバブル相場(異常な高PERや熱狂)の頂点で一括投資を高値で行った場合、適正価格への修正プロセスによって10年〜30年間にわたり元本を割込み続けるリスクが実在します。
相場には「永遠の成長」も「絶対の安全」も存在しません。積立投資(時間分散)と配当再投資による高値掴みの回避、いざという時に買い向かえる現金比率の維持、そして「市場全体が熱狂に包まれている時ほど警戒する」という歴史への敬意こそが、相場から退場しないための唯一の防具となります。
